別に好き好んで伝統主義のミサに出ているわけではありません。
こんな面倒なことはしたくないけれども仕方なくしています。
近場の教会で普通のトリエント典礼と普通のカトリックの教えや秘蹟があれば、わざわざ別のところに行く必要などありません。
伝統主義のミサは現代における緊急の一時的なサバイバル措置であって、ローマ及びカトリック教会が信仰に立ち戻った暁には必要ではなくなるものです。
元来の教会には不要なものですが今は必要なのです。
伝統の場が必要とされるのは今の教会が病気になっていて霊魂を癒せないからです。
罪人だからこそ真理を必要とし、真理は罪人を招いています。
伝統の中に真理が温存されているので、やむなくこんな変則的なミサに出ているのです