ルフェーブル大司教の功績の第一は「声を上げた」ことでしょう。
ここから全てが始まります。
当時、多くの人が第二バチカン公会議に違和感を感じていても口をつぐんでいました。
しかし、大司教だけは話し続けたので有名になりました。それは稀有なことだったのでメディアにも取り上げられ、更に多くの人が知るところとなりました。
そのおかげで賛同者が各地から集まることになり、やがては神学校や修道会に発展していくのです。
今はネットで全く自由になっていますが、当時、公会議や教皇やバチカンに物を申すことは恐くてなかなかできなかったことでした。
多くの人にとって大変心強い代弁者であり、知らなかった多くのことを教え導いてくれる人だったわけです。
今でも教皇を批判することはもっての他だと思っていて、大司教の名前を聞いただけで震え上がる人が大部分でしょう。
大司教は「従うことが正しい」「従っていれば安心」という盲目的な従順に縛られずに、何が問題で何を守らないといけないかを具体的に指し示したのです。
間違ったことが起きていると声を上げ、いにしえからの真理と伝統に留まるようにと身をもって示しました。
それはただ良くないことに「いいえ」、良いことに「はい」と言うシンプルな原則に沿っていることなのです。
皆が黙っていても、気づき、声を上げていくという精神は後継者たちにも受け継がれていきました。
もしも大司教が声を上げなかったら、他の独立的な伝統主義者のように一部の人しか知らないローカルな存在で終わっていたことでしょう。