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今とは違う今も昔も変わらないカトリックのミサ(伝統的ラテン語ミサ)Traditional Latin Mass in Tokyo

二種類の司教 2

二種類の司教 2 

 

 (第一段落 略)

 第二バチカン公会議(1962-1965)は幾百万人ものカトリック信者が誤って誘導され神から離された壊滅的な出来事である。しかも、それは神に向かって導かれているかのような様相を呈しているため、その大規模な欺瞞は今も続いている。このような、第二バチカン公会議に続くカトリック教会の大衰退のさなかにあって、ルフェーブル大司教(1905-1991)は、教皇庁と教区が全教会に押し付けているその衰退に対抗すべく、司祭修道会を教会内に創設するという奇跡的な離れ技をやってのけた。これが聖ピオ十世会である。それは公式には教皇以下全てから不適格とされている様相を呈しているが、実際には神の恵みによって真の信仰を保ち、世界中の真のカトリック信者の残存者の支持を得ていた。十世会を救い、このカトリック信者たちを守るために、大司教1988年にローマによる禁止の警告にもかかわらず、4人の司教を自らの手で叙階した。司教たちは少なくとも20年間は表面的にはカトリックの真理と教会に忠実に仕えた。

 けれども、時はうつろい、ルフェーブル大司教が1991年に死去して残された十世会の指導者たちの内心も変わっていった。ルフェーブル大司教が(ローマと)袂を分かった1988年から数年もしないうちに十世会はローマとのコンタクトを始めた。そのことで、ルフェーブル大司教が「ローマが信仰に戻らないうちは」と語ったことは、秘密裡ではないが慎重に(そっと)覆されてしまった。それはローマが偽りの公会議「刷新」をますます強制していても同じであった。(十世会指導部には)この慎重もしくは秘密裡のコンタクトが必要だった。それは当然のことだが、カトリシズムと公会議主義が和解できるとは思わない両側の人々(伝統主義者とモダニスト)を怖がらせて離れさせないためであった。信仰と第二バチカン公会議の間には和解できない矛盾はないということを受け入れるのに十分な変化のための時間を両側の人々に与えなければならなかったからである。

 予期したように、時と共に人々は変わり、少なくとも2012年までには十世会の指導者たちは(信仰と公会議の間に存在する)矛盾を否定する準備を整えていた。そして、その年の総長選挙のない総会において、彼らは信仰を第一とする「教義的合意なくして実践的(裁治権的、典礼的)合意なし」というルフェーブル大司教の方針公式に変え、「教義的合意はできないのだから実践的合意をしなければならない」という合意を第一にして教義を二の次にしてしまった。それは1988年以来、ルフェーブル大司教自身も含めて決してなされたことがないものであった。先週のコメント欄でも述べたように、1988年5月のローマとの交渉において、ルフェーブル大司教はラッチンガー枢機卿の虚偽的言い逃れにさらされて、全ローマは伝統を守ってくれないという結論に達していたのであった。

 しかし、2008年から2011年?のローマと十世会の実りなき教義的論議を経て、教義的合意が不可能であることが証明されたのだから、実践的合意をして何が悪いのかという反論もある。何が悪いのかは老練なルフェーブル大司教はよくご存知であった。いかなる実践的合意の前進であっても、軽量級の十世会が重量級のローマと自らを連結するなら、そして、十世会の唯一の重量(強み)は真理の教義であるのだから、(十世会はローマとの連結によって)打ち負かされるまで重量が減らされ、しまいには無効化させられてしまうのだ。そのことを信仰なきローマは最初から企んでいるのである。

 フォンダ司教の善意は神のみぞ知るものであったしても、(フォンダ司教は)2023年に(ローマと十世会の)両側から仕込まれたものであり、十世会の無効化に著しく貢献するものである。神のみぞ知ることではあるが。

( )は訳者の補い

 

 訳者コメント

 

 君子危うきに近寄らずという諺があるが、カトリックにおいても悪影響をもたらしかねない悪友は避けべしという原則がある。同様に重量級の怪物(ローマ)と同じリングに上がって(提携して)試合する(交渉する)ことは危険かつ無謀であり、やられるのが目に見えているというのが老練な大司教の認識なのである。

 レジスタンスは十世会を退会した者を中心に形成されたのだが、そのきっかけは2012年の十世会の総会における方向転換である。十世会が変わらなければレジスタンスは生まれることもなかった。十世会において変節した者がレジスタンスになったのでなく、変節した十世会において変節を拒んだ者がレジスタンスになったのである。レジスタンスは十世会からすれば不従順の輩であるが、レジスタンスからすれば十世会はルフェーブル大司教の方針を踏襲しない輩である。これは公会議で変節した者が伝統主義者になったのではなく、変節した公会議において変節しなかった者が伝統主義者になったのと同じである。過去の教え(過去の公会議教皇)に従うのか、現在の教え(公会議教皇)に従うのかというのも同じである。両者の価値観が異なるため、認識の相違は相対的な状況になっている。