大司教の更なる功績として以下の3点が挙げられるでしょう。
1 神学校を作ったこと
2 司教を叙階したこと
3 バチカンと距離を取ったこと
司祭を養成するために神学校は必要で、司祭を叙階するために司教が必要です。
ノブスオルドでなく伝統的な叙階を行うためにはバチカンの指導下にないことも必要でした。
これらは全て伝統的な典礼を保続させるために不可欠なことだったのです。
司祭がいないと伝統的典礼はできないですし、司教がいないと司祭を作れません。
バチカンは伝統的教えの神学校は許可しないでしょうし、伝統的司教の叙階は許可しないでしょう。バチカンの許可を待っていたら、伝統の司祭と司教は死に絶えてしまうことは明らかです。
司教を持つことによって、バチカンに左右されず、神学校で養成した司祭を叙階していくことが可能となったのです。
このように伝統を累々と続けるためには、伝統の司教が司祭を産み続けられることが不可欠です。
次世代への継承も見据えた持続可能性に意味があるわけです。
これらは秘蹟の存続ということに集約されます。
秘蹟なんてどこにでもあるのだから、伝統的典礼の方が貴重なのではないかと思われるかもしれません。その話は次回とします。