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今とは違う今も昔も変わらないカトリックのミサ(伝統的ラテン語ミサ)Traditional Latin Mass in Tokyo

フォンダ司教問題

 このところ、十世会を大きく揺るがしているのがフォンダ司教問題です。

 フォンダ司教については以下の紹介記事をご覧ください。

大いなる傷:ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ(1) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

 フォンダ司教は元々は隠居してスイスの十世会の片隅に住むだけだという触れ込みだったのですが、バチカンとの交渉役をするに留まらず、十世会の公的活動にもどんどん入ってきているのです。

 上記の自己紹介記事によれば、彼は公会議後の典礼で叙階され、ノブスオルドをやってきた司教です。インタビューにもあるように、彼は伝統主義者としてではなく公会議教会の立場から十世会との融和を図っています。

 彼がもし十世会の活動にきちんと合流するなら、まずは司祭と司教の叙階を十世会の司教から受け直さなければなりません。しかし、そうはせず、ノブスオルドで司祭や司教になったままで活動しているのです。

 現在、世界的に見ると、公会議教会の司祭で十世会に入りたいとか、合流したいう司祭を十世会はさほど歓迎しない傾向が見受けられます。それは現地司教とのトラブルを避けたいからという政治的理由によるものです。

 まして、司祭の叙階をやり直しでもしたら、現地司教の叙階を否定し、現地教区の今までの秘跡の執行に疑念を呈することになるわけなので、なかなか勇気がいります。

 理由は何であれ、フォンダ司教の秘跡は彼自身の叙階も含めて疑わしいものだと言えます。その彼が十世会内で執行する秘跡も疑わしきものです。再叙階をしないなら、十世会内で秘蹟は扱ってもらいたくないのが信者の率直な気持ちです。二つにひとつなのです。

 しかし、今年の聖木曜日に十世会で行われた聖香油のミサを彼は一人で司式し、聖香油を聖別しました。この聖香油は疑わしきものです。ですから、それらを用いた堅振や叙階の有効性も疑わしいということになります。ルフェーブル大司教が生きていたら、こんなことは決して許さなかったでしょう。

 十世会で成される秘跡モダニズムが混入してきているのです。フォンダ司教はインタビューでは耳障りのいいことを言っていますが、ご本人が意識しているかどうかはさておき、彼の役回りは羊の皮を着た狼、トロイの木馬です。

 このことは大きな衝撃をもって伝えられ、世界の十世会に動揺が広がっています。(以下の記事は十世会のものではありません)

SSPX Holy Oils consecrated by Novus Ordo Bishop: Invalid Last Rites coming soon! – Novus Ordo Watch

 以下はドイツの十世会の記事です。

Was lehrt die bischöfliche Liturgie der Ölweihe am Gründonnerstag über das Krankenöl? - Distrikt Deutschland

 非常に興味深いのは沢山の写真を載せているのに、典礼の中心人物であるフォンダ司教の顔が写っている写真が一枚もないことです。これは信者に知らせたくない、知られて反発を受けるのを避けるための情報統制やダメージ・コントロールか、編集者が載せたくなかったのかのどちらだろうかと思っていました。

 最近になって、ドイツの一部の十世会の司祭たちがフォンダ司教の聖香油を使うことを拒否したという話を聞いて、編集者の静かなるレジスタンスだったのではないかと思っています。

 十世会の聖香油は個々に誰が聖別したものか明記されています。日本にこの疑わしき油が来たら、それで堅振をすることになりますが、どうしたものでしょうか。

 将来、フォンダ司教に叙階された司祭が来たら、そのミサにあずかる意味はあるのでしょうか。(もっとも、司祭叙階が複数の司教で行われれば、ひとり無効な司教が混じっていても、他に有効な司教がいれば司祭叙階は有効になるのでが・・・。)

 こんなことをいちいち気にしなくてはならないとは・・・心配です。

 十世会は一体どこに向かおうとしているのでしょうか。ノブスオルドについて「疑わしい」という感覚を失ってしまっているのだとしたら、創立者の方針を捨てたということです。それとも、「疑わしい」とわかっていてもバチカンへの配慮からやむおえずやり過ごそうとしているのでしょうか。どちらにしても、まずいのです。

 十世会は他宗教と姦淫(エキュメニズム、共生、混血、混合)した教会を避けました。姦淫者と交われば姦淫となります。教会が姦淫状態でなくならない限り交わるなというのが創立者の方針でした。今、十世会はフォンダ司教との姦淫に陥って純潔を汚しています。