どれほど美しい聖堂と音楽と典礼があっても、その核心となる秘蹟(司祭と聖体)が本物(有効)でなかったらどうでしょうか。
それは意味のないもの、偽物です。
しかもそれは歌詞にあるように、いくら目で見てもわからないもので、ただ耳で聞くことによってのみわかることなのです。
さらに耳で聞いてもわからない、つまり、確たる情報が得られないということも多々あります。
これはリスクがあるということです。
ルフェーブル大司教はノブスオルドの秘跡はロシアンルーレットだと述べています。つまり、リスクがあるという疑念があるのです。
このとき「み旨のままに」などというのはリスク対応をしないという間違った考えです。
伝統主義が第一に守るべきことは秘蹟です。
秘蹟があってこその典礼です。仏作って魂入れずのように、典礼やってて秘蹟入れずにならないように目覚めて、秘跡を100%確たるものとしておくことです。