ルフェーブル大司教をはじめ伝統派は、教皇レオ13世以来の教皇の誤りを指摘して来ています。(先代の誤りの修正をおこなったピオ十世は除く)
ペトロを諫めたパウロ、教皇アナクレトスを破門にまで追い込んだ聖ベルナルドなど歴史的にも多々あることなのです。
批判、つまり、正邪の判断を下すことは、正しい道に留まるために必要です。
批判しないどころか、教皇に無批判に従うことは危険です。
教皇も人間ですから間違いを犯します。間違いに倣う必要はありません。
上官の命令であっても、戦時中に民間人を虐殺したのなら、その罪を問われます。
教皇の教説であっても、罪を犯すなら、神から罪を問われます。
虐待を繰り返す父の元に服している必要などないのです。