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今とは違う今も昔も変わらないカトリックのミサ(伝統的ラテン語ミサ)Traditional Latin Mass in Tokyo

司教叙階は本当に有効なのかという「疑い」

(部分要約)

公会議典礼(ノブスオルド)による司教叙階は有効なのでしょうか。

この質問は救霊に関わる重要な質問です。

賛否はあるものの、ほとんどのカトリック(2012年に方向転換した十世会を含む)は問題ないという見解です。

十世会の最も優秀な神学者であるカルデロン神父は、10年前の神学校の配布物に “very probably valid,” but not certainly(「『うーん、たぶん、有効』だけど確実ではない」)と述べています。

そして、有効ではないという「疑い」があるのだから、公会議典礼で叙階された全ての司教と司祭は、確実に有効なトリエント典礼で叙階を受け直すべきだと結論づけています。

http://stmarcelinitiative.com/consecrations-validity/

以上、部分要約

 

十世会は当初から公会議典礼による司教や司祭の叙階は「非合法で有効ではない」と一貫して述べてきました。しかし、2012年以降は「合法で有効」というスタンスに変ってきています。

公会議典礼で司教になったフォンダ司教を十世会の公的活動に任用していることが何よりの証拠です。フォンダ司教も十世会もフォンダ司教の叙階に関して「疑い」がないと確信しているからこそできることなのです。(「疑い」があっても仕方なくやってるのかもしれませんが、、、)

それでも「疑い」は歴然と残っています。

この「疑い」は個人的で主観的な判断ではなく、トリエント典礼とノブスオルド典礼を見比べることにより生じるものです。

一方で、ビガーノ大司教は「疑い」を抱きました。これは以前の十世会と同じ見解に基づくものでしょう。だから、以前の十世会の見解を変わらず保持しているレジスタンスの司教から再叙階を受けて自分のノブスオルド司教叙階の「疑い」を消し去ったのです。

もしも、パウロ六世とブニーニが制作したノブスオルド典礼が有効ではないという「疑い」がないのなら、わざわざトリエントミサをする必要がどこにあるのでしょうか。あれがダメだからこれをしているのです。けれども多くの人はそうは思わな方のでノブスオルドになってしまったのです。しかし、問題は救霊に直結する秘蹟の保持なのです。だから、その秘蹟に「疑い」があるというのは重大なことです。そこに「疑い」を持たないということは伝統派の存在理由をも揺るがすことなのです。

「疑い」を持たないで十世会に入ったフォンダ司教、「疑い」を持ってレジスタンスになったビガーノ大司教、この二人は本当に綺麗なコントラストなのです。