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今とは違う今も昔も変わらないカトリックのミサ(伝統的ラテン語ミサ)Traditional Latin Mass in Tokyo

「疑い」の二つの根拠

伝統派ではノブスオルドで堅振を受けた人を対象に「条件付きで堅振」を授けています。

伝統派には司祭による堅振はないので司教が世界を巡っています。

本当にご苦労でありがたいことです。

これはノブスオルドの堅振が有効ではなかったかもしれないという「疑い」に基づくものです。

その根拠の一つはノブスオルド典礼が有効ではないかもというものです。多くの人はこの点だけが問題なのだと考えています。典礼が伝統的でなかったからまずかったというわけです。それで伝統的典礼で条件付きの堅振を受けます。

しかし、もう一つ「疑い」の根拠となる問題があるのです。それは堅振を授けた司教の叙階が有効ではないかもというものです。いくら伝統的典礼でもそれを執行する司教の叙階の秘蹟が有効でなかったらそれは無効です。

有効となるには堅振の秘蹟と司教の叙階の秘蹟の両方がそろっていなくてはなりません。

現在、ほとんどの司教はノブスオルドで叙階を受けています。ですから、典礼に加えて叙階においてもダブルな疑わしさなのです。

ノブスオルドで叙階された司教が背伸びしてトリエント典礼をおこなった場合はどうでしょう。もちろん「疑い」は残ります。だから、トリエント典礼をおこなっている司祭や司教が誰によって叙階されたかを確認する必要があります。

度々引き合いに出して恐縮ですが、フォンダ司教やエクレジアデイの司祭がどれほど美しいトリエントミサをしていたとしても、彼らを叙階したのがノブスオルドの司教なら「うーーーん?」となります。

今現在の秘蹟のフォーマットだけでなく、その執行者が正しく継承(秘蹟)を受けた者かどうかが問題なのです。このキリストにまでたどれる継承という概念がないと、平信徒でも誰でもできるというプロテスタント方式になってしまいます。一つのブドウの木の枝つながりがカトリックなのです。この血筋のつながりを確たるものに接続する遺伝子が秘蹟なのです。遺伝子を変えたら違ってくるのはわかりきったことですから、秘蹟を変えたら違ってくるのは当然ではないでしょうか。そんな恐ろしい遺伝子組み換えをノブスオルドはおこなったのです。ノブスオルドは遺伝子組み換え秘蹟と言えましょう。

十世会は確固たる確信を持ってノブスオルドの堅振に「疑い」を抱いてきたからこそ条件付き堅振を実施してきています。それなのにノブスオルドの秘跡に「疑い」はなく有効であると宣うのは矛盾なのです。矛盾をきたさないためには元からのように「疑い」を表明し続けるか、「疑い」を捨てて条件付き堅振をやめるかのどちらかの選択しかないのかもしれません。